ヨハネ 母

« タイガーマスク・伊達直人の超基礎知識/直人と児童養護施設との関係 | C. S. Mann, Mark: A New Translation with Introduction and Commentary (The Anchor Bible v. 27; NewYork / London: Doubleday, NovT 33 (1991), Ralph P. Martin, and Peter H. Davids, eds., Dictionary of the Later New Testament & Its Developments (Downers Grove; Leicester: Inter Varsity イエスの母           母の姉妹クロパの妻マリア  マグダラのマリア, b. [5] Edwardsも同様。James R. Edwards, The Gospel according to Mark (The Pillar New Testament Commentary; Grand Rapids: William B. Eerdmans Publishing Company, 2002), 485. ヨハネ福音書では、これに続いて、十字架上のイエスが、自分の母を「愛する弟子」に託したとありますが、この愛弟子が使徒ヨハネだとすれば、使徒ヨハネとイエスの母とは、甥と伯母の関係にあたりますから、二人が「母と子」であると言うイエスの言葉が自然に理解できます。 [15] これは、小ヤコブ以下の兄弟を、イエスの従兄弟と見なす見解である。Cf. アルファイの子ヤコブ(3:18)、3. Press), 1997, 1004f. 田川建三『新約聖書—訳と註』(第1巻、マルコ福音書/マタイ福音書)、作品社、2008年、480-481頁。対して、「イエスの母」と明言することが避けられていることは不自然として、イエスの母であることを退ける否定派は次の通り。Gnilka, J. Das Evangelium nach Markus (EKK II/1-2; Zürich: Benziger Verlag/Neukirchen-Vluyn: Neukirchener Verlag, 19944), 326. ‚ׂĂð‘Ï‚¦‚éB‡TƒRƒŠƒ“ƒg13:4`7iŒûŒê–ój, ƒz[ƒ€ƒy[ƒWEƒƒbƒZ[ƒW‚P‚Q‚O‚W‚Q‚U@@@@@@@@¬@Î@@ò. (葬り)          (アリマタヤのヨセフとニコデモが登場し、婦人たちは現れない), [34] 27:56  [7] マタイ27:56でも、小ヤコブの「小」を取った上でマルコの記述を踏襲し、ルカ24:10でも「ヤコブのマリア」と省略的に記されている。, [8] 「マグダラ」は、ティベリアスの北2マイル、カファルナウムの南3マイルに位置するマリアの出身地「マグダラ」を表すと思われる。Adela Yarbro Collins, Mark: A Commentary (Hermeneia -A Critical and Historical Commentary on the Bible; Fortress Press: Minneapolis, 2007), 774. 洗礼者ヨハネの母。イエスの母マリアの従姉妹にあたる。 マリアは聖霊によって身ごもったが、エリザベトも不思議な神の働きがあってイエスの先駆者ヨハネを身ごもった。 R. J. Bauckham, “The Brothers and Sisters of Jesus: An Epiphanian Response to John P. Meier,” Catholic Biblical Quarterly 56 (1994), 700. ; rev. [4] R. Pesch, Das ゼベダイの子らの母, マタイは27:56において、マルコの「小ヤコブとヨセ」を「ヤコブとヨセフ」に変換して記載している。マルコも小ヤコブを16:1で「ヤコブ」と変換しているように、マタイにとってはこのように表記しても差し支えなかったということである。また、マルコの「サロメ」を「ゼベダイの子らの母」と同定しているように見える。, 「ヤコブの母マリア」(24:10)が、どのヤコブを指すのかわからないが、マルコ16:1の「ヤコブの母マリア」を踏襲したと見て良いだろう。, [36] 婦人たちはイエスの十字架死の場面(15:40)、葬り、空の墓の各々において立ち会っており、いずれにも等しくqewre,wが用いられていて、その場面を見たということが強調されているから、彼女たちは目撃者としての役割を担っていると考えられる。, [37] 最初の復活顕現は、エマオ途上の弟子たちに帰せられ、内、一人はペトロである(24:34)。, [38] 共観福音書とは対照的に、ヨハネ福音書は逆の方針を採っている。婦人たちはもはや「距離を置いて」(avpo. 19:25(十字架) イエスの母 母の姉妹クロパの妻マリア マグダラのマリア b. ヤコブとヨハネの母サロメは、イエスの母マリヤと実の姉妹でした。つまり、ヤコブとヨハネの兄弟は、イエスの従兄弟でもあり、弟子でもあったのです。 cf マルコ15:40 ーまた、遠くのほうから見ていた … この記事へのトラックバック一覧です: 【美術】洗礼者ヨハネ超入門・西洋絵画鑑賞上の基礎知識/使徒ヨハネ、サロメ、聖母子像: ヨハネが手にしている十字架の形をした杖と、皮の衣装はヨハネのアトリビュート(持物)です。, 付記:国立西洋美術館で2018年9月24日まで開催中のミケランジェロ展に『若き洗礼者ヨハネ』が出展中です, この文章はあくまで絵画鑑賞上の基礎知識としてキリスト教について記しています。正確さを欠く面がある事はご了承ください。もし看過出来ない点がありましたらご指摘ください。, 【展覧会】特別展ダ・ヴィンチ ~モナリザ25の秘密~/ルネサンス万能の天才の研究展 日比谷公園ダ・ヴィンチミュージアム », 【美術展】「没後50年 藤田嗣治展」東京都美術館/画業を俯瞰する大型店 もちろん乳白色の裸婦も, 【美術】日曜美術館10/13「「孤高の画家 夢を紡いで ギュスターヴ・モロー」/汐留で「モローとルオー」展も開催中, 『日曜美術館』5/19 「アートの旅 中谷美紀 in 瀬戸内・直島」/不思議な存在感の女優さんの不思議な旅, 【美術】5/12『日曜美術館』「ダ・ヴィンチ、ミケランジェロを越えろ ルネサンスの天才ラファエロ」/大画家の生涯を俯瞰, 【美術】雑誌『Pen』5/15号「ルネサンスとは何か。Ⅱ ダ・ヴィンチ/ミケランジェロ/ラファエロ 3大巨匠を徹底解剖」, 【美術】洗礼者ヨハネ超入門・西洋絵画鑑賞上の基礎知識/使徒ヨハネ、サロメ、聖母子像, 【美術展】「特別展 超写実絵画の襲来 ホキ美術館所蔵」文化村ミュージアム/コロナを乗り越え再開, 横溝正史が金田一耕助以前に生み出した忘れられた名探偵・由利麟太郎 令和にまさかの復活, 【昭和特撮】ウルトラセブンはなぜ「ウルトラマンセブン」ではないのか?/分かり易く解説. イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。 2:5 . R. J. Bauckham, Jude and the Relatives of Jesus in the Early アンダーソン『マルコによる福音書』(ニューセンチュリー聖書注解)、日本キリスト教団出版局、2011年、428頁。, [2] 現行のテキストは、a2 [27] A. Deissmann, Bible and the Relatives, 20ff. R. J. Bauckham, "Salome the Sister of Jesus, Salome the Disciples of Jesus, and the Secret Gospel of Mark." Eusebius, Historia Ecclesiastica 2.23.1-25.)。彼は、エルサレム教会の指導者にして、同時にエルサレムの町の有力者であり、サドカイ派の祭司一派により殺害された。, 次に、マルコが2番目の兄弟と記している「ヨセ」という名称は、既に述べた通り、「ヨセフ」の一般的な短縮形である。よって、「ヨセ」は、他の誰かと区別するために「ヨセフ」と呼ばれていたのだろう。その他の誰かが問題であるが、新約聖書の中で「ヨセフ」と名のつく人物は、イエスの父ヨセフ[21]、アリマタヤのヨセフ[22]、バルサバまたはユストと呼ばれるヨセフ(使徒1:23、使徒ユダの後任候補)、バルナバと呼ばれていたキプロス島出身のヨセフ(使徒4:36、土地を売却して献金)、以上の4名である。, この中にそのヨセフが含まれているとも限らないし、含まれているとしても特定不可能である。ただ、ある程度の推論は可能である。「ヨセ」と呼ばれるヨセフを他のヨセフと区別するためなら、父の名を付して「〜の子ヨセフ」とするか、または出身地や居住地を併記して「〜のヨセフ」と表記するのが一般的だろう。にもかかわらず、短縮形で「ヨセ」と呼ばなければならなかった事情として考え得るのは、「〜の子ヨセフ」「〜のヨセフ」という呼び方が困難で、昔から「ヨセ」と呼び習わされていた場合である。この条件に最も自然に合致する可能性は、「ヨセ」の父が「ヨセフ」という名前のケースではないか(「ヨセフの子ヨセフ」「ナザレのヨセフ」という呼び方は困難)。すると、父の名がヨセフであった可能性が考えられる。「ヨセ」の父の名は「ヨセフ」であるとすると、15:40のマリアは、ヤコブとヨセという男子を持ち、配偶者がヨセフという名である点で、イエスの母と一致する度合いが極めて高い。, この蓋然性について、6:3との関係からさらに検討を加えてみよう。マルコ6:3には、イエスの4人の兄弟の名が連ねられている(原文ではさらに、匿名でイエスの「姉妹」にも言及されている[23])。この順序は、長男から始まり若い兄弟へと続くものと見て良いだろう。「ヤコブ、ヨセ[24]」という上位二名の名前が、先の15:40の「小ヤコブとヨセ」と一致する。6:3の「ヤコブ」を15:40の「小ヤコブ」と同一視する場合、なぜ6:3で前もって「小ヤコブ」と記さなかったのかという問題は、イエスの兄弟、マリアの子という形で十分に説明されているから、他のヤコブと区別するための「小」を付記する必要がなかったと説明し得る[25]。よって、「小ヤコブ、ヨセ」は、「ヤコブ、ヨセ」という表記と相互交換可能ということになる。, 次に、「ヤコブ」「ヨセ」の2名の組み合わせは、新約中ではこの箇所と6:3、そして15:40の並行箇所であるマタ27:56以外には見られず、「ヨセ」の名前単独でもこれらの箇所以外では言及されていない。しかも、15:40の表記からヤコブとヨセは同じ母から生まれた兄弟であり、これも6:3の記述と付合する。加えて、上述の如く、「ヨセ」の父の名も「ヨセフ」と推測される点も指摘される。従って、「小ヤコブとヨセ」は6:3の「ヤコブ、ヨセ」と同一であるとの想定を妨げるものはないし、兄弟と母の名を同じくする他のファミリーが存在したと想定する方が、よほど無理がある。, マルコ6:3では4名の兄弟が書かれているにもかかわらず、なぜ15:40では上から二人目までの記述に留まっているかという点については[26]、文化的背景を鑑みれば、最も若い兄弟たちを省略することは有り得る。また、マルコ6:3の場合には、ナザレの人々が同郷であるイエスの兄弟姉妹たちを数多く挙げることに意味があるような文脈である一方、15:40では、マルコ福音書の読み手にとって関係の深い人物を挙げることが優先される文脈である。マルコは、6:3を前提としているからこそ、15:40では読み手が知っている「小ヤコブとヨセ」という上位2名の記述のみでマリアが誰かを特定しようとしたに違いない。, その他、15:40において単に「ヤコブとヨセ」と書けば十分であり、わざわざ「小ヤコブ」と書く必要はないという見方も可能ではあるが、これは重大な問題ではなく、もはや表記の好みの問題の次元であろう。人名に付く「小」は、通常、年齢の若さを表すから[27]、ゼベダイの子ヤコブよりイエスの兄弟ヤコブの方が若かったから、あるいは彼が使徒ではなかったことから、そのように彼を呼んで区別する習慣があったのかも知れない[28]。, ヤコブ以下、4名の兄弟やシモンが、ヨセフがマリア以前に結婚していた先妻の子どもたちであったという根拠のない見解を除外すれば[29]、以上の考察結果より、ヨセフ、マリア、イエス、ヤコブ他の相関関係は、以下のように図示される。, 15:40、15:47、16:1における「ヤコブ」「ヨセ」の母マリアがイエスの母マリアを指すとして、なぜマルコは、彼女を「イエスの母」とは明記しなかったのだろうか。実際、これを理由に「イエスの母」説を退ける立場も多く、その主要な根拠とされている[30]。一方、田川は、ペトロの後継としてエルサレム教会の長を務めた主の兄弟ヤコブやマリアといったイエスの親族をエルサレム教会を体現する者とした上で、イエスの母に好意的でなかったマルコは、敢えて15:40以下において「イエスの母」とは記さなかったと考えている[31]。また、Gundryは、次のようにその理由を解釈している。15:40の直前の箇所である、イエスの絶命の様子を報告する15:39では、百人隊長による「本当にこの人間は神の子だった」という告白が語られている。このような極めて重要な告白の直後であるだけに、「神の子」と対立的である人間的な「イエスの母マリア」という表記を回避したのではないか、と[32]。, 田川説は、マルコがエルサレム教会に批判的であり、その象徴でもあるイエスの家族にも好意的でなかったと前提しており、この仮説がまず証明される必要がある。Gundry説は、神の子告白と「イエスの母マリア」という二つの要素が、併記を避けなければならないほど対立的であるのかという点で疑問が残る。ただ、執筆時点で既にイエスが信仰対象となっていたために、「イエスの母」という表記はそぐわないという見方は、妥当なものである。本稿において我々は、これとは別の理由を探ってみよう。, ここで、マルコにおける「母」という用語の用例を確認しよう。mh,thrの用例はマルコ全体で合計17回であり、それらが含まれるペリコーペは次の通りである。「イエスの真の家族」(3:31, 32, 33, 34, 35)、「会堂長の娘の甦り」(5:40)、「洗礼者ヨハネの処刑」(6:24, 28)、「コルバン」(7:10*2, 11, 12)、「離縁について」(10:7)、「永遠の命を受け継ぐ」(10:19)、「わたしのためまた福音のために」(10:29, 30)、小ヤコブとヨセの母(15:40)。このうち、用例として特徴的なものは、「イエスの真の家族」と「わたしのためまた福音のために」の記事であり、双方は共に、イエスへの追従と家族というテーマを扱っている。, 後者の10:29-30においては、「まことにあながたがに向けて言っておく。私のため、そして福音のために、家、兄弟たちや姉妹たち、父や母、子どもたち、畑を後にした者たちで、今この時、迫害下にあって、百倍の家、兄弟たちや姉妹たち、母、子どもたち、畑を受け取らない人はいないし、来るべき世においても、永遠の命を受け取らない人はいない。」と述べられており、迫害下での家族の放棄が奨励されている。そして、このロジックを補強するように、「イエスの真の家族」の記事においては、イエスの実の母と兄弟たちが差し置かれてまで、イエスに付き従う人々全体が「見なさい、ここに私の母、私の兄弟がいる」(3:34)と高く評価されている。他、イエスの弟子のペトロとアンデレも「すぐに網を捨てて従った」とあり、ゼベダイの子ヤコブとヨハネも、「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に船に残してイエスの後に従って行った」と記されている(1:16-20)。すなわち、母の問題は、イエスに従うに際しての家族問題と関連しており、家族問題は迫害的状況を後景としている。この繋がりで、マルコ13章では、「兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう」(13:12)と記され、家族間の不和をも甘受する信仰的決断が促されている。, 以上のような文脈において、当のイエス自身にあっては、イエスの家族であり母であるマリアが十字架に至るまでイエスと共にいたというのは、マルコにとって書きにくかったのではないか。家族を捨てることを躊躇するなと命じている当人が、自分の母を同行させていたとあっては、自己矛盾とは言えないまでも、福音書の書き手としては明記しにくい。マルコとしては、イエスの母マリアが同行していた事実をできるだけ書かずに済ませたかったため、3:31以降、彼女の詳細については記載しなかったと思われる。それでも15:40で間接的な形で、すなわち、「小ヤコブとヨセの母マリア」とマルコが書いた理由は、読み手にとってこの出来事が既知の事柄であり、書かずに済ますことはできなかったからだろう。これと付合するように、ヨハネ19:25においてヨハネは、共観福音書と比べて圧倒的に自覚して、イエスの母に関する記述を書き込んでいる[33]。別の言葉で言えば、マルコは、マリアが「イエスの母」としてよりも、「ヤコブとヨセの母」として読み手に意識される方を望んだということである。, こうしたマルコにおける婦人たちのリストを継承したマタイとルカは、どのようにこれを記載しているだろうか。マルコほどに目撃者の実名記載にこだわらないマタイは、27:61と28:1で簡略化して記している[34]。また、目撃者を不特定多数にしているルカには[35]、婦人たちの目撃者証言としての位置[36]を相対化させ(ルカ24:11を参照)、復活顕現の最初の目撃者をペトロら弟子たちとする動機が働いている[37]。相違点はあるが、基本的にはマルコの方向性を踏襲しており、これと矛盾するものではない[38]。, 以上の事柄から、ゼベダイの子ヤコブと区別する際には「小ヤコブ」と記される必要があるが、文脈から特定可能な場合、「ヤコブ」と記されるだけでも十分に認知されている人物ということになる。初期教会共同体においてそのような人物として考えられるのは、アルファイの子ヤコブか、イエスの兄弟ヤコブであるが、上述のように前者は退けられ、6:3と付合する後者が筆頭として想定される。新約全体から見て、そのようなマリアは6:3のイエスの母以外には考え難い[39]。, 15:40以下の婦人たちのリストについて、彼女たちを十字架死、葬り、空の墓の場面での目撃者として描くことにマルコの編集的意図が含まれているとしても、伝承に全く含まれていないものを後から付加したとは考え難い。恐らく、伝承段階で婦人たちの名前は含まれていたのだろう。そして、イエスの母の名もそのリストの中に含まれていた。ただ、既に信仰の対象とされていた「イエス」の母と表記するよりも、原始教会において知られていたイエスの兄弟「ヤコブとヨセ」の母という表記が好まれたのだろう。ヨセに関する詳細は一切不明だが、ヤコブの方は後に原始教会の指導者となったことを考えると、使徒たちとは異なって後から教会に加わった彼にとって、目撃者の中に含まれる母マリアに関する記載において、「ヤコブの母」と書かれることで間接的にヤコブの名に言及されることは、彼が指導的立場に就くという権威と必然性を擁護するためには好都合である。そして、この伝承を受けたマルコにとっても、迫害下で家族を棄却してまでのイエスに対する追従を説く方針に「小ヤコブとヨセの母」という表記は合致していたため、マルコは書き換えなかったと推測される。, 15:40のリストに含まれる婦人たちの総数は、文法的な観点から、3人と確定される。その内訳は、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、サロメである。, 小ヤコブをアルファイの子ヤコブと見なす仮説には根拠がなく、マリアの処女性を保護する意図が看取されることから、小ヤコブとヨセの母マリアをクロパ(=アルファイ)の妻マリアと同定する説は後代形成されたものと推察される。一方、マルコ6:3における「マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟」という記述との一致は注目に値する。ヤコブから小ヤコブ、ヨセフからヨセへの書き換えは十分に説明可能であり、彼らの母が6:3におけるマリア、すなわちイエスの母であることを否定する根拠とはならないし、イエスの母マリア以外のマリアを想定する方こそかえって無理がある。もちろん、イエスの母マリアと同定するこれ以上の根拠はないが、少なくとも、「小ヤコブとヨセの母マリア」がイエスの母であることを否定するために、最もよく見られる「イエスの母であればそのように記すはずである」という論理を根拠として提示することは不適当である。, 婦人たちのリストの原型が伝承段階で形成されていた可能性がある。イエスの母が「小ヤコブとヨセの母」と記述された理由として、信仰対象のイエスへの言及を避けたことと、ヤコブの権威づけ、地位の補強等が推測し得る。この伝承を受容したマルコは、家族を捨ててイエスに従う弟子の模範としてイエスを描くために、「イエスの母」とは書き換えなかったと考えられる。マタイとルカによるマルコの継承の仕方と同様の線であり、マルコと矛盾しない。. ", R. J. Bauckham, “The Brothers and Sisters of Jesus: An Epiphanian Response to John P. Meier,”, 頁。対して、「イエスの母」と明言することが避けられていることは不自然として、イエスの母であることを退ける否定派は次の通り。, アンダーソン『マルコによる福音書』(ニューセンチュリー聖書注解)、日本キリスト教団出版局、, では、「ヨセ」の前に定冠詞が付加されており、「小ヤコブ」とヨセの母が別人とされている。この場合、全体で, )という原文からは、このマリアが小ヤコブの母なのか妻なのか特定できない。この問題については、同様の問題を持つ, 「マグダラのマリア」の名は福音書伝承のみに見出される一方、受難、葬り、空の墓物語に頻出する(マルコ, では、「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア」と言われている。, イエスの足に香油を塗り、自分の髪の毛で拭った記事に登場する「一人の罪深い女」(ルカ, の直前に位置するため、マグダラのマリアをこの「罪深い女」と同定してしまう解釈が生じたと考えらえる。, の読み替えに従えば、匿名の人物である「ゼベダイの子らの母」と一致するかも知れない。「サロメ」という名は、ヘブライ語のシャーロームと関連する(, 義人ヤコブの殉教後、エルサレム教会の監督の後継として、主の従兄弟であるクロパの息子シメオンが立てられたと報告されている。参照、エウセビオス、『教会史』、, イエスの兄弟姉妹がマリアとヨセフの間から誕生したのか、あるいはヨセフの初婚相手との間に誕生したのか、現状の資料から確定することは困難である。, Cf. 1986), 655. 19:25(十字架) [24] 並行箇所のマタ13:55では、短縮形を避けて「ヨセフ」と書き直されている。文脈からマリアの夫ヨセフとの区別が容易なため、正式名にしたと思われる。参照、Gnilka, Markus 2, 326. 一方、Gnilkaは根拠を提示することなく、15:40のヤコブとヨセはイエスの兄弟と関係がないとしている。Gnilka, Markus 2, 326. イエスの母マリア(イエスのははマリア、Maria Mother of Jesus)は、ナザレのイエスの母。, ヨセフと婚約し、結婚前にイエスを身ごもった。ヨセフは婚約者のマリアが身ごもっていることを知る。律法に忠実な義人であればマリアを不義姦通として、世間に公表し、申命記22・23に基づく石打ちの刑にする権利があったがそれを行使せず、全てを受け入れマリアと結婚した。ただしこのことはヨセフが神を深く信じ、情け深かったからであり、義人でなかったことを意味するものではない。, カトリック教会と正教会では、マリアにはイエス以外に子はいなかったと主張している。新約聖書の中での「兄弟」という記述は、実の兄弟以外の「親族」という意味だと解釈している。(当時の文献の中に「親族」を指している例もある)イエスの母語であるアラマイ語には、日本語の従兄弟、甥、姪にあたる言葉が無く「兄弟・姉妹」と言っていたようである[1]。プロテスタントの中には、新約聖書中の「兄弟」という記述を、文字通り「兄弟」だと解釈し、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの4人もマリアの子だったのだろう、としている宗派もある。, イエスの磔刑の後、晩年はイエスの十二人の弟子・使徒の一人である使徒ヨハネとともに小アジアのエフェソスで余生を送ったとも伝えられる。一方で、墓所は現在は聖母マリア墳墓教会となっているエルサレムにあるという説もある。, 福音書に拠れば、処女懐胎により、イエスを身ごもったとされている。 W. A. Bienert, “The Relatives of Jesus” in New Testament Apocrypha, ed., W. Schneemelcher and R. McL. 十二弟子の中でもペテロと並んで『一番弟子』のグループに入っていたのが、ゼベタイの子ヤコブとヨハネの兄弟でした。, cf マタイ4:21ーそこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベタイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベタイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。, ヤコブとヨハネの母サロメは、イエスの母マリヤと実の姉妹でした。つまり、ヤコブとヨハネの兄弟は、イエスの従兄弟でもあり、弟子でもあったのです。, cf マルコ15:40ーまた、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセの母マリヤ、またサロメもいた。, cf マタイ27:56ーその中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベタイの子らの母がいた。, cf ヨハネ19:25ー兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤが立っていた。, マタイ20:20ーゼベタイの妻サロメは、ヤコブとヨハネを連れてイエスのもとに来て、何をしていますか?cf マタイ20:17~18, cf 1列王記2:19ーバテ・シェバはアドニヤのことを話すために、ソロモン王のところに行った。王は立ち上がって彼女を迎え、彼女におじぎをして、自分の王座に戻った。王の母のためにほかの王座を設けさせたので、彼女は彼の右にすわった。, cf マルコ16:19ー主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。, cf 使徒7:56ーこう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」, ヤコブとヨハネも(『右大臣・左大臣』になりたい。)と思っていたのなら、なぜふたりだけでイエスのもとに来なかったのでしょう?, ヤコブとヨハネ、母サロメが、どの弟子たちよりも先にこのような願いを持って主のもとに来たことから、彼らの根底にある願いは何でしょうか?, マタイ20:22ーこのような願いと思いを持ってやって来た彼らのことを、イエスはどのような思いで対応したと思いますか?, その下にイスラエル統一王国と異邦人諸国ができ、イスラエルの王となるのが、復活したダビデ王です。cf エレミヤ30:9、エゼキエル37:24~25、ホセア3:5, *十二使徒は、ダビデ王の下でイスラエルの12部族を統治します。cf マタイ19:28、ルカ22:28~30, *このヨハネは晩年、主からの啓示によりこの時に明らかにされていた『千年王国』だけでなく、『天の都エルサレム(完成された天の御国)』の知らせを受けています。それを書き記したものが『ヨハネの黙示録21~22章』です。, cf 黙示録21:14ーまた、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。, *十二使徒の名…cf マタイ10:2~4のイスカリオテ・ユダを除く11人と、使徒1:26で選ばれた『マッテヤ』の12人の名。, マタイ20:24ー彼らの申し出(抜け駆け! VIwsh/toj mh,thr[2]  Salw,mh, 15:47 h` Mari,a h` Magdalhnh, Mari,a h` VIwsh/toj, 16:1  Mari,a h` Magdalhnh,  Mari,a h` [tou/] VIakw,bou 愛の使徒ヨハネ ヨハネは“愛の使徒”と言われています。愛と言う言葉はヨハネの福音書では39回、3つの書簡でも39回使われています。合計78回で新約聖書全体では282回(新改訳)ですからヨハネだけで4分の1以上使っていることになります。 [14] ヨハネ19:25のクロパの妻マリアを小ヤコブとヨセの母マリアと同じと見なす立場は以下。Evans, Mark, 511. [25] Edwardsも、「小」の付加の理由を、ゼベダイの子ヤコブと区別するためだったと推測している。Edwards, Mark, 485. VIwsh/toj mh,thr, 番目の項目の「小ヤコブ(の母または妻、娘)でヨセの母マリア」について、「小ヤコブの(母または妻、娘)マリアと、ヨセの母を別人同士と読み、全体で, 名の中で一人だけ無名の人物となるため、これが不自然な省略であることは否定できない。また、定冠詞, に掛かっていて、「小ヤコブとヨセ」がセットでこれを修飾していると見なすのが自然である, において指摘した通り続柄が明記されていないため、「母」だけではなく「妻」等を意味する可能性もある。, では「ヨセの母マリア」と書かれているおり、両者の「ヨセ」は同一人物を指していると見て間違いないから、, の「小ヤコブとヨセの母マリア」と対応関係にあると見られる。結論として、「ヨセのマリア」(, の「小ヤコブとヨセの母マリア」という表記を考慮すれば、同一人物を指していると思われる。互いに近接する箇所であるため、表記の簡略化が行われたと推測される。, )が同一人物であることを前提としてきたが、ここで改めてこの点について検討しておきたい。「小ヤコブ」の「小」は、一般的には、他の誰かと比べて年齢が相対的に若いか, 。この小ヤコブが誰を表しているのかが問題の根底にあり、次章でこの問題を扱うため、ここでは本節の主題に限った範囲で述べておくのみに留めるが、, では単に「ヤコブとヨハネ」と簡略化されている。このことから、直前に特定可能な形でその名に言及されている場合、近接する次の箇所では説明的語句が省略される現象が認められる。よって、この箇所でも「小ヤコブ」から「ヤコブ」への省略が為されたと見るのが良い。, 人とされる。また、「小ヤコブの(母または妻、娘)マリア」については、「小ヤコブの母」と決定され、, 次に、「小ヤコブとヨセの母マリア」が誰を指すのかを考察しよう。この問いは、「小ヤコブとヨセ」が誰であるのかという問題と直結している。マルコ福音書では、次の, 1:19, 29; 3:17; 5:37; 9:2; 10:35, 41; 13:3; 14:33, まず、小ヤコブはゼベダイの子ヤコブではない。上述の通り、マルコは最初に彼の名を「ゼベダイの子ヤコブ」と記し、それ以後はすべて「ヤコブ」と書いているから、ここで「小ヤコブ」と改めて表記し直す理由はない。また、「ゼベダイの子ヤコブ」の名がマルコ福音書で使用される場合、常にその兄弟「ヨハネ」と共に現れる傾向があり(, 次に、「アルファイの子ヤコブ」はどうか。小ヤコブをアルファイの子と見なす伝統的な西方伝承がある。ヒエロニムスが提唱し、後にローマ・カトリックの伝統的な見解となったこの説では, 」と同じ人物とし、さらに、クロパをアルファイと同じ人物と見なすことにより、アルファイの子ヤコブ=小ヤコブという結論を引き出している, クロパの妻マリアが、イエスの母マリアの「義理」の姉妹である可能性、すなわち、クロパがヨセフの兄弟である可能性がある。エウセビオスによるヘゲシッポスの引用によれば、クロパ(ギリシア語名はクレオパ)はヨセフの兄弟であったという, この他にも、「兄弟」と訳されている語は、血縁上最も近い兄弟だけではなく親族にも使用されることがあったことを理由に、ヨセを含む兄弟姉妹たちはイエスの実の兄弟ではなく“従兄弟”であったと見なす見解が古代教会時代からある。さらに、小ヤコブとヨセの母をイエスの母やクロパの妻とは別のマリアであったとする説もあるが、これらカトリック教会伝承系の諸説を支持するテキストは見られず, 、いずれもイエス出産後のマリアの処女性を保持するために生まれた、後付けの見解と見なし得る, 」。まず、イエスの兄弟ヤコブについては、新約では使徒言行録、第一コリント、ヤコブの手紙、ユダの手紙で言及されており(使徒, 等)、新約外においても、ヘゲシッポス、オリゲネス、エウセビオスらが彼について触れている(, )。彼は、エルサレム教会の指導者にして、同時にエルサレムの町の有力者であり、サドカイ派の祭司一派により殺害された。, 番目の兄弟と記している「ヨセ」という名称は、既に述べた通り、「ヨセフ」の一般的な短縮形である。よって、「ヨセ」は、他の誰かと区別するために「ヨセフ」と呼ばれていたのだろう。その他の誰かが問題であるが、新約聖書の中で「ヨセフ」と名のつく人物は、イエスの父ヨセフ, この中にそのヨセフが含まれているとも限らないし、含まれているとしても特定不可能である。ただ、ある程度の推論は可能である。「ヨセ」と呼ばれるヨセフを他のヨセフと区別するためなら、父の名を付して「〜の子ヨセフ」とするか、または出身地や居住地を併記して「〜のヨセフ」と表記するのが一般的だろう。にもかかわらず、短縮形で「ヨセ」と呼ばなければならなかった事情として考え得るのは、「〜の子ヨセフ」「〜のヨセフ」という呼び方が困難で、昔から「ヨセ」と呼び習わされていた場合である。この条件に最も自然に合致する可能性は、「ヨセ」の父が「ヨセフ」という名前のケースではないか(「ヨセフの子ヨセフ」「ナザレのヨセフ」という呼び方は困難)。すると、父の名がヨセフであった可能性が考えられる。「ヨセ」の父の名は「ヨセフ」であるとすると、, のマリアは、ヤコブとヨセという男子を持ち、配偶者がヨセフという名である点で、イエスの母と一致する度合いが極めて高い。, 人の兄弟の名が連ねられている(原文ではさらに、匿名でイエスの「姉妹」にも言及されている, )。この順序は、長男から始まり若い兄弟へと続くものと見て良いだろう。「ヤコブ、ヨセ, で前もって「小ヤコブ」と記さなかったのかという問題は、イエスの兄弟、マリアの子という形で十分に説明されているから、他のヤコブと区別するための「小」を付記する必要がなかったと説明し得る, 。よって、「小ヤコブ、ヨセ」は、「ヤコブ、ヨセ」という表記と相互交換可能ということになる。, 以外には見られず、「ヨセ」の名前単独でもこれらの箇所以外では言及されていない。しかも、, の記述と付合する。加えて、上述の如く、「ヨセ」の父の名も「ヨセフ」と推測される点も指摘される。従って、「小ヤコブとヨセ」は, の「ヤコブ、ヨセ」と同一であるとの想定を妨げるものはないし、兄弟と母の名を同じくする他のファミリーが存在したと想定する方が、よほど無理がある。, の場合には、ナザレの人々が同郷であるイエスの兄弟姉妹たちを数多く挙げることに意味があるような文脈である一方、, では、マルコ福音書の読み手にとって関係の深い人物を挙げることが優先される文脈である。マルコは、, において単に「ヤコブとヨセ」と書けば十分であり、わざわざ「小ヤコブ」と書く必要はないという見方も可能ではあるが、これは重大な問題ではなく、もはや表記の好みの問題の次元であろう。人名に付く「小」は、通常、年齢の若さを表すから, 、ゼベダイの子ヤコブよりイエスの兄弟ヤコブの方が若かったから、あるいは彼が使徒ではなかったことから、そのように彼を呼んで区別する習慣があったのかも知れない, 名の兄弟やシモンが、ヨセフがマリア以前に結婚していた先妻の子どもたちであったという根拠のない見解を除外すれば, 、以上の考察結果より、ヨセフ、マリア、イエス、ヤコブ他の相関関係は、以下のように図示される。, における「ヤコブ」「ヨセ」の母マリアがイエスの母マリアを指すとして、なぜマルコは、彼女を「イエスの母」とは明記しなかったのだろうか。実際、これを理由に「イエスの母」説を退ける立場も多く、その主要な根拠とされている, 。一方、田川は、ペトロの後継としてエルサレム教会の長を務めた主の兄弟ヤコブやマリアといったイエスの親族をエルサレム教会を体現する者とした上で、イエスの母に好意的でなかったマルコは、敢えて, では、百人隊長による「本当にこの人間は神の子だった」という告白が語られている。このような極めて重要な告白の直後であるだけに、「神の子」と対立的である人間的な「イエスの母マリア」という表記を回避したのではないか、と, 田川説は、マルコがエルサレム教会に批判的であり、その象徴でもあるイエスの家族にも好意的でなかったと前提しており、この仮説がまず証明される必要がある。, 説は、神の子告白と「イエスの母マリア」という二つの要素が、併記を避けなければならないほど対立的であるのかという点で疑問が残る。ただ、執筆時点で既にイエスが信仰対象となっていたために、「イエスの母」という表記はそぐわないという見方は、妥当なものである。本稿において我々は、これとは別の理由を探ってみよう。, )。このうち、用例として特徴的なものは、「イエスの真の家族」と「わたしのためまた福音のために」の記事であり、双方は共に、イエスへの追従と家族というテーマを扱っている。, においては、「まことにあながたがに向けて言っておく。私のため、そして福音のために、家、兄弟たちや姉妹たち、父や母、子どもたち、畑を後にした者たちで、今この時、迫害下にあって、百倍の家、兄弟たちや姉妹たち、母、子どもたち、畑を受け取らない人はいないし、来るべき世においても、永遠の命を受け取らない人はいない。」と述べられており、迫害下での家族の放棄が奨励されている。そして、このロジックを補強するように、「イエスの真の家族」の記事においては、イエスの実の母と兄弟たちが差し置かれてまで、イエスに付き従う人々全体が「見なさい、ここに私の母、私の兄弟がいる」(, )と高く評価されている。他、イエスの弟子のペトロとアンデレも「すぐに網を捨てて従った」とあり、ゼベダイの子ヤコブとヨハネも、「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に船に残してイエスの後に従って行った」と記されている(, )。すなわち、母の問題は、イエスに従うに際しての家族問題と関連しており、家族問題は迫害的状況を後景としている。この繋がりで、マルコ, 以上のような文脈において、当のイエス自身にあっては、イエスの家族であり母であるマリアが十字架に至るまでイエスと共にいたというのは、マルコにとって書きにくかったのではないか。家族を捨てることを躊躇するなと命じている当人が、自分の母を同行させていたとあっては、自己矛盾とは言えないまでも、福音書の書き手としては明記しにくい。マルコとしては、イエスの母マリアが同行していた事実をできるだけ書かずに済ませたかったため、, で間接的な形で、すなわち、「小ヤコブとヨセの母マリア」とマルコが書いた理由は、読み手にとってこの出来事が既知の事柄であり、書かずに済ますことはできなかったからだろう。これと付合するように、ヨハネ, においてヨハネは、共観福音書と比べて圧倒的に自覚して、イエスの母に関する記述を書き込んでいる, 。別の言葉で言えば、マルコは、マリアが「イエスの母」としてよりも、「ヤコブとヨセの母」として読み手に意識される方を望んだということである。, こうしたマルコにおける婦人たちのリストを継承したマタイとルカは、どのようにこれを記載しているだろうか。マルコほどに目撃者の実名記載にこだわらないマタイは、, 。相違点はあるが、基本的にはマルコの方向性を踏襲しており、これと矛盾するものではない, 以上の事柄から、ゼベダイの子ヤコブと区別する際には「小ヤコブ」と記される必要があるが、文脈から特定可能な場合、「ヤコブ」と記されるだけでも十分に認知されている人物ということになる。初期教会共同体においてそのような人物として考えられるのは、アルファイの子ヤコブか、イエスの兄弟ヤコブであるが、上述のように前者は退けられ、, 以下の婦人たちのリストについて、彼女たちを十字架死、葬り、空の墓の場面での目撃者として描くことにマルコの編集的意図が含まれているとしても、伝承に全く含まれていないものを後から付加したとは考え難い。恐らく、伝承段階で婦人たちの名前は含まれていたのだろう。そして、イエスの母の名もそのリストの中に含まれていた。ただ、既に信仰の対象とされていた「イエス」の母と表記するよりも、原始教会において知られていたイエスの兄弟「ヤコブとヨセ」の母という表記が好まれたのだろう。ヨセに関する詳細は一切不明だが、ヤコブの方は後に原始教会の指導者となったことを考えると、使徒たちとは異なって後から教会に加わった彼にとって、目撃者の中に含まれる母マリアに関する記載において、「ヤコブの母」と書かれることで間接的にヤコブの名に言及されることは、彼が指導的立場に就くという権威と必然性を擁護するためには好都合である。そして、この伝承を受けたマルコにとっても、迫害下で家族を棄却してまでのイエスに対する追従を説く方針に「小ヤコブとヨセの母」という表記は合致していたため、マルコは書き換えなかったと推測される。, 人と確定される。その内訳は、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、サロメである。, 小ヤコブをアルファイの子ヤコブと見なす仮説には根拠がなく、マリアの処女性を保護する意図が看取されることから、小ヤコブとヨセの母マリアをクロパ(=アルファイ)の妻マリアと同定する説は後代形成されたものと推察される。一方、マルコ, における「マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟」という記述との一致は注目に値する。ヤコブから小ヤコブ、ヨセフからヨセへの書き換えは十分に説明可能であり、彼らの母が, におけるマリア、すなわちイエスの母であることを否定する根拠とはならないし、イエスの母マリア以外のマリアを想定する方こそかえって無理がある。もちろん、イエスの母マリアと同定するこれ以上の根拠はないが、少なくとも、「小ヤコブとヨセの母マリア」がイエスの母であることを否定するために、最もよく見られる「イエスの母であればそのように記すはずである」という論理を根拠として提示することは不適当である。.

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