戦略自衛隊 目的

理念・ビジョン・戦略・戦術 ビジネスでは、「何をするのか」を決めるのにまず理念があって、そこからビジョンを掲げ、戦略を立て、戦術を決定するという流れが理想的だと言われています。 そしてこれは、会社に限らず、あらゆる組織、団体、そして個人にも通ずるものであります。 ・(3) なぜ現代はテロや紛争が頻発するようになったのか, 映画『シン・ゴジラ』で國村隼氏演じる財前正夫統合幕僚長が、東京を破壊し尽くしたゴジラを凍結させる「ヤシオリ作戦」を前に、主人公である矢口蘭堂(長谷川博己氏)に向けて語った言葉です。, 東日本大震災と福島第一原発事故をモチーフにしたともされる『シン・ゴジラ』は、セットのつくり込みから、震災にまつわるさまざまな考証までが話題になりましたが、実際に私が東日本大震災のときに語った言葉はたしか、「国民の命を守るのがわれわれの仕事ですから、命令があれば全力を尽くします」であったように記憶しています。, 大震災当時、統合幕僚長として未曾有の災害と原発事故への対応に奔走した身としても、あらためて『シン・ゴジラ』という作品は苦闘の日々と、国民の皆様からの励ましの声を思い出させてくれました。, 映画を観た方にも、そのなかでの自衛隊の存在が印象に残ったのでしょう。その後、「自衛隊は東日本大震災のとき、どんな戦略をつくって実行したのか?」「そのときに、折木さんは何を考えていたのか?」というご質問をいただくことが増えました。, もちろん、そのご質問に対してはお答えできること、できないことがありますが、当時、次々に襲い来る国難に時々刻々と対処しながら、次の段階における自衛隊運用に関する防衛大臣への補佐、官邸での報告、被災地や現場部隊の状況把握と指示、米軍との活動調整、そして災害派遣活動を行ないながらの防衛・警備考慮など、複眼的な視点から複雑な戦略を実行していた、ということはいえるかと思います。, 震災のような有事だけではなく、平時においてもいまだに多くの国民の方々に、自衛隊はいったいどんな活動をしているのか、ということをお伝えしきれていないのは、私たちの努力不足であり、反省すべきことです。, かつて「昭和の自衛隊」は吉田茂首相が語ったとおり、存在することに重要な意義を見出しつつ、国家のために忍び耐えながら、日本国民の安全を守るべく、黙々と実力を蓄えてきました。, それが「平成の自衛隊」になるにつれて、PKO(国連平和維持活動)や国際緊急援助活動など、国民の目に見えるかたちで、その活動範囲は飛躍的に広がり、他国の軍隊と連携する機会も格段に増えました。, もちろんそのなかで、いまなお、自衛隊が国内外の民間人に向けて一発の弾も発砲していないのは幸いなことであり、私たちの誇りそのものです。, 自衛隊の役割が変化していった背景には、もちろん、日本という国が世界で果たすべき役割の変化があります。, さらにその背景には、その世界自体が、かつての常識では考えられないような変貌を遂げている、という現実があることを見逃すわけにはいきません。, わずか数年前まで、イギリスがEU(欧州連合)を離脱し、アメリカでドナルド・トランプ大統領という存在が誕生するなど、誰が予想できたでしょうか。, 世界経済のグローバル化やコネクティビティ(相互接続性)が進んだ結果、考えなくてはならない要素が飛躍的に増大し、そのなかで競争に勝ち抜くためには、以前よりもより「戦略性」が求められる時代になったのではないか、と思います。, そうした戦略性が求められるのは、もちろん自衛隊だけではありません。企業も同じはずです。, グローバル展開に生き残りをかける企業の戦略にこそ、世界の変化の潮流を踏まえた戦略性が求められるのは、いうまでもないでしょう。, ビジネススクールで教えられているような経営学は、そうした戦略を日夜研究しているはずです。, 私自身、防衛大学校を卒業してから統合幕僚長の任に至るまで、社会人のキャリアは自衛官一筋ですから、企業における戦略がどのようなものであるのか、ということについては門外漢です。, しかし最近では幸いなことに、企業人の方とお話をしたり、議論をさせていただく機会を多く頂戴し、そうしたなかで、企業人の方がいま世界をどのように捉えているのか、どんな考え方をもっているのか、ということをぼんやりとながらも理解できるようになりました。, そのなかで、ほとんどの日本人が経験したことのない、自分のような特殊なキャリアをもつ人間が、もしかすると企業人の方にも何か参考にしていただけることをお伝えできるかもしれない、と感じたことが、こうしたかたちで出版をさせていただくきっかけとなったのです。, おそらく、私が自衛隊において経験し、考えてきた戦略と、いわゆる経営学が考える戦略とは、非常に似ているところがあり、大きく違うところもあります。, なぜ経営戦略と軍事戦略が似ているのかといえば、これはあとで詳しくお話ししますが、じつは経営戦略の考え方自体が、そもそもは軍事戦略の考え方を応用して発展してきたものだからです。, その一方で、まさに戦略の本家ともいえる軍事戦略の視点を踏まえたとき、いま世の中でいわれるような「戦略」があまり深く考慮に入れられていないような部分があるのではないか、ということも感じます。, そして、経済だけを考えていても、政治だけを見ていても読み解けない、まさに複眼的思考が必要とされるこれからの社会において、その考慮されていない部分がこれからますます重要になっていくのではないか、と思うのです。, たとえばそれは、戦争のような極限ともいえる状況に置かれたなかで、きれいごとではなくリアルに人や組織を動かすための方法論や、目の前の生々しい安全保障と経済がどのような関係にあるのかという、「地政学」ならぬ「地経学」的な発想のことなどです。, あるいは、自衛隊がきわめて重視しているのは、徹底的に相手と戦うために「休む(専門的な言い方では「戦力回復」といいます)」「身体を鍛える」ことですが、こうした視点を組み込んでいる戦略実行のための基礎的要素をあまり見かけたこともありません。, 主に、ビジネスの世界で使われることが多い言葉ですが、たとえばスポーツ界のチーム強化策なども、いつの間にか「強化戦略」というフレーズが使われるようになりました。, 行政でも、農林水産業の輸出力強化戦略、観光立国戦略など、戦略という言葉が散見されます。, しかし、そもそも「戦略」とは何か、と聞かれたとき、それを明確に説明することができるでしょうか?, 本書の目的は、私がこれまで自衛隊という組織において23万人という隊員を率い、リアルな「戦い」のリスクを感じながらそのオペレーションを担ってきた経験から、「戦略の本質」を考え抜くことで、それを知見として一般の方たちに少しでも還元していきたい、というところにあります。, そもそも軍事という分野は、そのときの人類が有している知見の最先端の部分が凝縮されています。, アメリカの軍事技術であるアーパネットが現在のインターネットの基礎となったのは有名な話ですし、日本の戦後復興を担った製造業にも、その技術の根幹には旧日本軍の軍事技術があったといわれます。, あるいは、本章のなかでも説明しますが、「はじめに」でも書いたように、そもそも「戦略」という言葉は軍事からきているのです。, それでは、世の中において「戦略」とはどう定義されているのでしょうか。MBA(経営学修士)の考え方を参照してみましょう。, 戦略とは「企業あるいは事業の目的を達成するために、持続的な競争優位を確立すべく構造化されたアクション・プラン」とされます。, そして戦略をもつ意義として、「明確な経営戦略を打ち出すことは、勝ち組の企業になるための条件の1つ」「企業が保有する経営資源には限りがあり、選択と集中について考えなければならない」といわれます(『[新版]MBAマネジメント・ブック』グロービス・マネジメント・インスティテュート編著、ダイヤモンド社)。, 言葉を変えて説明するなら、戦略とは、企業の「持続的な競争優位」を確立するための基本的な考え方のことであり、企業は戦略を策定することで、何を行なうか、逆に何を行なわないかという事業領域を明らかにできます。, さらには経営資源(ヒト・モノ・カネ)投入の選択と集中が可能になり、どのような自社の強みを磨けばよいのか、ということがわかるのです。, 「持続的な競争優位」とは何に基づくのかといえば、それは、企業が商品やサービスとして提供する「特別な価値」である、といえるでしょう。, その価値とは「絶対的」ではなく、競合他社との比較などから導かれる「相対的」なものにすぎません。, 要するに、「あの会社よりもこの会社の商品のほうがいい」とか「新しく始めたサービスは以前のものよりも便利だ」という程度の差であるということです。, だからこそ、現在の「競争優位」にあぐらをかいていると、相対的な優位性の差をあっという間に縮められ、逆転されてしまいます。, デジタル化が凄まじい勢いで進展し、新しいテクノロジーによってその差がなくなるスピードは、以前よりも速まっているといえるでしょう。, そうした激しい環境変化のなかで「特別な価値」を提供しつづけるためには、イノベーション(革新)を起こして相対的な優位性を維持する経営戦略を考え、それを自社の経営資源で実現可能な事業計画や、部・課・プロジェクトチームといった現場のアクション・プランに落とし込まなければなりません。そうした計画の最上位に位置するものが、「経営戦略」というわけです。, もう少し、MBAの「経営戦略」について、話を続けましょう。「経営戦略」の策定は、どのようなプロセスを経て行なわれるのでしょうか。, まず重要になるのが、経営理念とビジョンです。経営理念とは、自社がどのような企業になりたいのかという理想や、社会における存在意義を抽象的に表したものであり、これはたとえ経営者が代わっても、通常は一貫したものです。, その一方でビジョンとは、ある時点までに「こうなっていたい」と考える到達点のことであり、そのときどきの経営トップが考える企業の近未来の姿や、その経営者固有の経営哲学などを表すと考えてよいかと思います。, その二つを踏まえたうえで、経営戦略をつくる際の一つの方法として、社会情勢や業界などの「外部環境分析」と、自社企業の「内部環境分析」があります。, 内と外の動きを踏まえたうえで、戦略オプションをつくっていくのです。そこで選択した戦略を具体的な数値目標が記された中期経営計画や単年度の経営計画・事業計画に落とし込んだうえで、実行とレビューを行なって、戦略の精度を上げていく、ということを繰り返します。, 経営戦略のなかに経営環境を効果的に組み合わせることによって、より大きな収益をあげることができる、といわれます。とはいえ、いまやグローバル化した経営環境において企業が考えなければならない変動要因は、市場ニーズや競合他社の出方だけではありません。 これまでは軍事戦略が経営戦略のエッセンスになる、という順番で理論化がなされていて、その逆はありません。, であるならば、経営戦略の本質、ひいては戦略の本質を深く理解するには、軍事戦略とは何なのか、ということを知らなければならないはずです。, アメリカの経営コンサルタントであるカレン・フェランは『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。』(大和書房)でずばり、「戦略開発の発祥は『戦争状態』の軍事戦略であり、『戦略』という言葉もそこからきている。(中略)戦争の理論がビジネス戦略にどう役立つのかはぜひ理解しておきたい」と指摘しています。, 以下、少し長くなりますが、軍事戦略がどのように経営戦略に取り入れられていったのかについて、要点をまとめてみましょう。, 世界で最初に戦略の概念を見てとれる書物は、紀元前5世紀に孫武によって原型がつくられたとされる『孫子』です。, 戦略や戦術という言葉こそ使われていませんが、『孫子』は戦争哲学をはじめとして、戦いに勝利するための国家戦略から戦術にわたる方法論を、13編からなる一連の理論体系にまとめました。, 『孫子』の登場によって、戦いの勝敗は神に祈り、天運に身を委ねるものから、人間の知識と行動によって左右されるものへ進化したといえるでしょう。, 欧州ではどうでしょうか。戦略的な概念を最初に確認できるのは、紀元前4~5世紀の古代ギリシャです。, 古代ギリシャの将軍であり、歴史家でもあったクセノフォンは、STRATEGOS(ストラテゴス=司令官、軍団を指揮する将軍)、STRATEGIA(ストラテジア=将軍の行なう謀計、軍隊指揮)の言葉を用い、それが今日の戦略(ストラテジー)という言葉の語源となりました。, 近代西欧軍事思想の開祖は、『君主論』で知られるニッコロ・マキャヴェリ(1469~1527年)とされます。, マキャヴェリはその著書『戦術論』で、国家の防衛とは、特権的な集団の任務ではなく、その社会のすべての人々に関係する重要な事項である。, そして戦争の目的は、自己の意思を敵に強要することで、戦争は「敵の完全な敗北」という明確な成果の達成をもって、できるだけ早く終了させなければならず、迅速な決着は戦闘によってのみ達せられる、と説きました。, このマキャヴェリの軍事思想を体現したのが、18世紀末のフランス革命後の混乱を収拾し、フランス皇帝に即位したナポレオン・ボナパルトです。, ナポレオンには、マキャヴェリの軍事思想を体現しなければ、誕生したばかりの近代国民国家フランスを守ることができない切実な事情がありました。, その当時、「自由・平等・博愛」を掲げるフランスに対して、王侯貴族たちの身分制度を守りたい周辺諸国は、いっせいに宣戦布告を行ないました。, そこでフランス軍は一国ではなく、多数の国の敵軍と同時に戦争を行なう必要に迫られたのです。, そこで生まれたのが、独自の補給部隊などをもち、個別に独立した作戦を展開することのできる軍事組織である「師団」。, さらにナポレオンは、これら複数の師団による作戦を指揮・統制する「軍団制度」を生み出して、欧州の敵国を圧倒しました。, じつは、ナポレオンの軍団制度は、企業の「事業部制」とほぼ同じ制度ともいえます。 あなたは、そもそも「戦略」とは何か、と聞かれたとき、それを明確に説明することができるでしょうか?著者が、これまで自衛隊という組織において23万人という隊員を率い、リアルな「戦い」のリスクを感じながらそのオペレーションを担ってきた経験から、「戦略の本質」を考え抜いた答えがここにあります。, (本記事は、折木 良一氏の著書『自衛隊元最高幹部が教える 経営学では学べない戦略の本質』KADOKAWA=2017年12月1日刊=の中から一部を抜粋・編集しています), 【関連記事 『経営学では学べない戦略の本質』より】 専用の哨戒装備を持たないTC-90であっても、フィリピン海軍現有のBN-2に比べて大幅な能力向上が見込める。 国などは重要な突進目標である。目的はパリ、目標はフランス野戦軍(対仏作戦計画). 戦略も戦術も、軍事用語として使われていたものが、政治やビジネスなどでも使われるようになった言葉である。 軍事用語としては、戦略が、戦いに勝つために兵力を総合的・効果的に運用する方法で、大局的・長期的な視点で策定する計画手段。 略称は「戦自」。英文表記は「JAPAN STRATEGY SELF DEFENSE FORCE (JSSDF)」。劇中では世界最強の軍隊の一角に数えられる。 セカンドインパクトの後、既存の陸上・海上・航空自衛隊は国連軍へと編入されていたが、2003年南沙諸島において発生した中国とベトナムの軍事衝突を契機に、固有の軍事力を必要とした日本政府により新たに設置された。国防省直属。 なお、国防省は架空の省庁であるが、一方でJAの起動算譜には実在する防衛庁(現実世界での日本国では2007年1月9日より「防衛省」に移 … 自衛隊(じえいたい、英: Japan Self-Defense Forces、略称: JSDF、 SDF [6])は、自衛隊法に基づき、日本の平和と独立を守り、国の安全を保つために設置された部隊および機関[7][注釈 1]。, 事実上の軍事組織であり[8]、国際法上は軍隊として扱われる[9][注釈 2]。陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊の3部隊から構成され、最高指揮官たる内閣総理大臣および隊務統括を担う防衛大臣による文民統制(シビリアン・コントロール)の下、防衛省によって管理される。1954年(昭和29年)7月1日設立。, 日本国憲法第9条の下、専守防衛に基づき、国防の基本方針および防衛計画の大綱の定めるところにより、“国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛すること”を基本理念とする(自衛隊法第3条第1項)[注釈 3]。内閣総理大臣が内閣を代表して最高指揮監督権を有し、防衛大臣が隊務を統括する。陸、海、空の三自衛隊を一体的に運用するための統括組織として統合幕僚監部が置かれ、防衛大臣は統合幕僚長を通じて、陸海空自衛隊に命令を発する。, 自衛隊法上の「自衛隊」とは、自衛隊員[注釈 4]として含まれない「防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官、防衛大臣補佐官、防衛大臣政策参与、及び防衛大臣秘書官」なども含めた防衛省の「事務次官並びに防衛省の内部部局、防衛大学校、防衛医科大学校、防衛会議、統合幕僚監部、情報本部、防衛監察本部、地方防衛局、防衛装備庁、その他の機関並びに陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊を含むもの」(自衛隊法第2条第1項)とされ、これは「防衛省」とほぼ同一の組織に相当する[注釈 5]。一般的には国の行政機関という面から見た場合は「防衛省」、部隊行動を行う実力組織としての面から見た場合は「自衛隊」として区別されて用いられることが多い。, 日本国憲法第9条は国際紛争を解決する手段としての「戦争の放棄」と「戦力不保持」、ならびに「交戦権の否認」を定めているが、政府見解によれば憲法は自衛権の放棄を定めたものではなく、その自衛権の裏付けとなる自衛のための必要最小限度の実力は憲法第9条第2項にいう「戦力」には該当しない[10][11]。よって、日本を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然に認められており、これは交戦権の行使とは別の観念であるという立場に立っている[12][13]。こういった憲法上の制約を課せられている自衛隊は、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものであるが、他方、自衛隊は国際法上は軍隊として取り扱われており、自衛官は軍隊の構成員に該当するものとされている[9]。, 2013年12月17日、「国防の基本方針」に代わるものとして「国家安全保障戦略」[14]が策定された。, 自衛隊の公式な英称はJapan Self-Defense Forcesであるが、日本国外において陸海空の各自衛隊は日本の実質的な国軍(Japanese military force あるいは Japanese armed force)として認知されており、陸上自衛隊は Japanese Army(日本陸軍の意)、海上自衛隊は Japanese Navy(日本海軍の意)、航空自衛隊は Japanese Air Force(日本空軍の意)に相当する語で表現されることがある。なお、英語で"right of self-defense"の語は国際法上「自衛権」を意味し、"Self-Defense Forces"は「自衛権を行使するための軍隊」と解釈できる。(国際連合憲章第51条の英文も参照されたい。), 陸上自衛隊 は1950年(昭和25年)の朝鮮戦争勃発時、GHQの指令に基づくポツダム政令により警察予備隊が総理府の機関として組織されたのが始まりである。同時期、旧海軍の残存部隊は海上保安庁航路啓開本部と各管区海上保安本部航路啓開部となり、日本周辺の機雷処分を実施したほか、旧海軍軍人主導により、将来の海上防衛力の母体として独立することを視野に入れた「スモール・ネイビー」として海上警備隊が設立された。その後、海上警備隊は警備隊に再編され、各管区海上保安本部航路啓開部は航路啓開隊として警備隊に統合された。1952年(昭和27年)8月1日には警察予備隊と警備隊を管理運営のための総理府外局として保安庁が設置された。同年10月15日、警察予備隊は保安隊に改組された。そして1954年(昭和29年)7月1日、「自衛隊の任務、自衛隊の部隊の組織及び編成、自衛隊の行動及び権限、隊員の身分取扱等を定める」(自衛隊法第1条)自衛隊法(昭和29年6月9日法律第165号)が施行され、保安隊は陸上自衛隊に、警備隊は海上自衛隊 に改組されたほか、新たに諸外国の空軍に相当する航空自衛隊 も新設され、陸海空の各自衛隊が成立した。また同日付で防衛庁設置法も施行され、保安庁は防衛庁に改組された。, 自衛隊創設当時、陸軍士官学校、海軍兵学校などの旧軍の軍学校を卒業した旧陸海軍正規将校が幹部自衛官として、陸海空三自衛隊の幕僚機関の主流を占めていたほか、実働部隊の指揮中枢において直接22万人の自衛隊員を動かす立場にあった。これにより、創設当時の自衛隊は旧陸海軍正規将校の強い影響下で戦力を整備し、隊風を育ててきた[15]。旧陸海軍で大佐や中佐だった幹部自衛官の多くが定年退官し、防衛大学校出身の幹部自衛官が年々増加していた1967年(昭和42年)においても、陸上自衛隊には2288人、海上自衛隊には1563人、航空自衛隊には1063人の、計4914人の旧陸海軍正規将校が幹部自衛官として務めており、自衛隊幹部現員の15.3%を占めていた[15]。また、1969年(昭和44年)当時の自衛隊幹部における旧陸海軍出身者の割合は、将クラスで80%、一佐で78%、二佐で66%、三佐で21%であった[16]。, 自衛隊は創設以来、ソビエト連邦の日本侵攻を想定してアメリカ軍と共同作戦を行うことを国防の大前提としていた。自衛隊の統合幕僚会議議長と在日米軍司令官が署名し、防衛庁防衛局長を通じて防衛庁長官に報告されていた「共同統合作戦計画」のシナリオによれば、北海道へのソビエト連邦軍の上陸侵攻に際して、まずは自衛隊が独力で対処し、1週間から2ヶ月かけて数次に分かれて到着するアメリカ軍の来援を待つことになっていた。共同統合作戦計画は毎年改定されていたほか、陸海空自衛隊は共同統合作戦計画を前提として、毎年度の日本防衛計画である「年度防衛警備計画(年防)」を策定していた[17]。, 冷戦後は、1990年の湾岸危機をきっかけに新たな役割を模索するようになり、国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO協力法)によって自衛隊はカンボジアや東ティモールに部隊や要員の派遣を行ったほか、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を機に、「日米安保のグローバル化」が進行し、自衛隊とアメリカ軍による日米防衛協力の領域は日本周辺や極東地域から、中東やインド洋へと拡大し、本土防衛を主任務としてきた自衛隊の任務の変容も進んでいる。イラク戦争においては、アメリカ軍主導の多国籍軍の一翼を担う形で、イラク南部のサマーワに人道復興支援活動を目的として、陸上自衛隊の部隊が派遣された[18]。, 2006年(平成18年)3月27日、統合幕僚会議及び同事務局を廃止し、統合幕僚監部が新設された。ほか、2007年(平成19年)1月9日、防衛庁は防衛省に昇格した。2015年(平成27年)6月10日、「防衛省設置法等の一部を改正する法律(平成27年法律第39号)」が可決・成立し、同年10月1日の防衛省設置法改正法施行により、内局の運用企画局が廃止され、部隊運用に関する事務が統合幕僚監部へ一本化されたほか、技術研究本部及び装備施設本部が廃止され、新たに防衛装備庁が防衛省の外局として設置された。, 自衛隊はシビリアン・コントロール(文民統制)の原則の下、文民で構成される内閣、立法府である国会の統制下に置かれている。内閣総理大臣は内閣を代表して自衛隊の最高指揮監督権を有し、防衛大臣が自衛隊の隊務を統括する。また、内閣には関係閣僚等で構成される国家安全保障会議が置かれ、防衛に関する重要事項を審議する。自衛隊の防衛出動や治安出動等にあたっては事前又は事後の国会承認を要し、また国会は自衛隊に係る定員、予算、組織などの重要事項の議決を通じて自衛隊を統制する。, 陸・海・空の各自衛隊はすべて防衛大臣の直轄部隊から構成され、各自衛隊の隊務に係る防衛大臣の幕僚機関として陸上幕僚監部、海上幕僚監部及び航空幕僚監部が置かれている。更に各自衛隊を統合運用するための幕僚機関として統合幕僚監部が置かれ、自衛官の最上位者である統合幕僚長がこれを統括する。防衛大臣は各幕僚長を通じて各自衛隊に命令を発するが、部隊の運用に関しては全て統合幕僚長を通じて行うものとされている。各幕僚長は「最高の専門的助言者」として防衛大臣を補佐し(自衛隊法第9条第2項)、部隊等に対する防衛大臣の命令を執行する。, 防衛事務次官は待遇等の面では統合幕僚長と同格であるが、「その省の長である大臣を助け、省務を整理し、各部局及び機関の事務を監督する」(国家行政組織法第18条2項)ものとされ、防衛省・自衛隊の機関全般にわたって監督権限を有する。, その他、防衛省の所掌事務に関する基本的方針について審議する機関として、防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官、防衛大臣補佐官、防衛大臣政策参与、事務次官、防衛審議官、内局の官房長と各局長、統合・陸・海・空幕僚長、情報本部長、防衛装備庁長官で構成される防衛会議が設置されている。, 特別裁判所の設置が憲法で禁止されているため、軍法会議(軍事裁判所・軍事法廷)は置かれていない(従って、軍事刑務所の類は無く、被疑者は一般同様検察庁へ送致される。微罪は別にして、禁錮以上の罪で立件される等で重大な反社会的行為に関与したと判断された場合は懲戒免職されることがあり、また懲戒免職されなくても禁錮以上の罪が確定すれば失職する)。諸外国の憲兵に相当する部隊は陸・海・空の各自衛隊に警務隊として組織されている。, 高度な装備を保有するが、総兵力は約24万人(うち女性1万2,300人)と対人口比で主要国中最低水準である。年間防衛予算も約4兆7千億円で絶対値的でこそ世界的に上位に位置するものの、対GDP比では1%を割って主要国中最低水準である。予算は陸海空で概ね4:3:3の比率であり、予算総額の約44%は人件費で、装備品の調達費は、比較的高額な水準となっている。戦力維持のために若年定年退職制度を導入しており、多くの自衛官の定年退職が53歳である。, 近年、国家財政の悪化と少子高齢化のために防衛予算と兵力は減少傾向にあったが、周辺国、特に中国の軍拡や尖閣諸島問題の影響で2013年度以降は対前年比で増加に転じた。また、自衛隊が保有する装備の維持・運用・管理などにおいて他の西側諸国と同じく日米安全保障条約による同盟国アメリカに強く依存している装備も多く、実戦におけるノウハウ習得や幹部自衛官教育、新型装備に関する技術講習などでもアメリカ(在日米軍)との協力関係が重要視されている。, 諸外国の陸軍にあたる組織であり、日本に対する海外勢力による上陸作戦を防止し、上陸された場合にはこれに対処することを主な任務とする。前身組織は保安隊(警察予備隊)。普通科いわゆる歩兵を基軸として、戦車、装甲車、榴弾砲、対戦車ロケット弾、対戦車ミサイル、地対空ミサイル、地対艦ミサイル、ヘリコプターなどを保有する。英称 Japan Ground Self-Defense Force、略称 JGSDF。諸外国からは Japanese Army(日本陸軍の意)に相当する語で表現されることがある。, 陸上自衛隊の部隊は、方面隊、陸上総隊その他の防衛大臣直轄部隊から構成され、その所掌事務に係る幕僚機関として陸上幕僚監部が設置されている。定数は約15万2千(即応予備自衛官を除く)であり、三自衛隊の中で最大だが、振り分けられる予算は約1兆7千億円と、海、空自衛隊に大差は無い。小銃をはじめ、戦闘車輌や一部の航空機は国産品を装備しているが、輸入やライセンス生産による装備品もある。遠隔操縦観測システム(FFOS)のような無人航空機の運用能力も持つが、指揮通信能力、統合作戦能力は整備途上にある。各方面隊が担当地域の防衛警備を担っている。また、島国という地理上、離島への武力侵攻に備えた水陸機動団も配備されている。, 諸外国の海軍に当たる組織であり、海洋国家である日本の防衛力の中核を担っている。前身組織は警備隊(海上警備隊)。護衛艦、潜水艦、機雷戦艦艇、輸送艦、対潜哨戒機、ヘリコプターなどを保有する。英称Japan Maritime Self-Defense Force、略称JMSDF。諸外国からはJapanese Navy(日本海軍の意)に相当する語で表現されることがある。, 海上からの侵略を阻止し、また艦船、航空機、潜水艦等の脅威を排除して、海上交通の安全を確保することを主な任務とする。年間を通じて、日本周辺海域の哨戒任務を行っており、国籍不明潜水艦や他国の艦艇、不審船、遭難信号などを探知した場合は、哨戒機をスクランブル発進させ、護衛艦が緊急出港し、対象目標を継続追尾する態勢に移行する。また、弾道ミサイルの監視、迎撃任務も負っている。実質的には外洋海軍としての能力を有し、対潜水艦戦や対機雷戦では高い能力を有する。, 海上自衛隊の部隊は、自衛艦隊、地方隊、教育航空集団、練習艦隊その他の防衛大臣直轄部隊から構成され、その所掌事務に係る幕僚機関として海上幕僚監部が設置されている。定数は約4万5千であり、予算は約1兆5百億円。艦艇、潜水艦、航空機、各陸上基地を運用する。日本が海洋国家であり、通商貿易国家であることから、シーレーンの安全確保を重視し、太平洋戦争(大東亜戦争)の戦訓から 対潜水艦戦能力と対機雷戦能力に重点を置いている[20]。, 保有するイージス艦の一部にはBMD能力が付与されており、ミサイル防衛の中核を担う。いずも型護衛艦、ひゅうが型護衛艦やおおすみ型輸送艦は離島防衛や大規模災害対処のシーベースとしても活動できる。, いずも型護衛艦一番艦「いずも」が2015年(平成27年)3月に就役し、海自保有艦艇としては歴代最大の自衛艦となった。, 諸外国の空軍に当たる組織である。平時においては日本周辺の空域を警戒監視し、領空内に不法に侵入しようとする航空機に対して、戦闘機をスクランブル発進させて、対領空侵犯措置をとるほか、災害派遣、国際緊急援助隊業務等を行っている。また、有事においては、航空優勢の確保による防空、侵入してくる陸海戦力の航空阻止と近接航空支援を主な任務とする。陸上・海上両自衛隊と違い前身組織はない。英称Japan Air Self-Defense Force、略称JASDF。諸外国からはJapanese Air Force(日本空軍の意)に相当する語で表現されることがある。, 航空自衛隊の部隊は、航空総隊、航空支援集団、航空教育集団、航空開発実験集団その他の防衛大臣直轄部隊から構成され、その所掌事務に係る幕僚機関として航空幕僚監部が設置されている。定数は約4万7千人であり、予算は約1兆8百億円。アメリカ製の大型戦闘機F-15、同じくアメリカ製の多用途戦闘機F-16をベースとしたF-2戦闘機をはじめ、E-767早期警戒管制機や、KC-767空中給油機、パトリオットミサイル、バッジシステム、JADGEの導入により、世界的にも高水準の防空能力を維持する[21]。高度な救助能力を持つ航空救難団は災害派遣でも活用されている。, 「陸自はおにぎりを食べ、海自はカレーを食べ、空自はハンバーガーを食べる」といった比喩や、以下のような言葉[注釈 7]でその違いが表現されることもある。, 各自衛隊の「共同の部隊」として、サイバー防衛隊及び自衛隊情報保全隊、自衛隊指揮通信システム隊が設置されている。隊員は、陸・海・空の各自衛隊の混成であり、常設統合部隊として統合幕僚長の指揮下にある。その他、陸海空自衛隊共同の機関として自衛隊地方協力本部、自衛隊病院などが、防衛省の特別の機関として情報本部などが設置されている。, 自衛隊法上、自衛隊は国の防衛を主たる任務とし、必要に応じ公共の秩序の維持にあたるものとされている。この主たる任務に該当する自衛隊の活動が「防衛出動」であり、公共の秩序維持に関する活動として「治安出動」「災害派遣」等が位置づけられている。その他、主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、別に法律で定める任務を実施するものとされており、具体的には重要影響事態法やPKO協力法に基づく海外派遣がこれに該当する。, 自衛隊の防衛出動は自衛隊法第76条によって定められており、他国からの武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態、及び、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態に際して、内閣総理大臣が自衛隊の出動を命じるものである。出動にあたっては原則として事前の国会承認を要する。出動を命じられた部隊は、日本を防衛するため、必要な武力を行使することができる(自衛隊法第88条)。実際に武力の行使を行うか否かの判断は、自衛隊の最高指揮監督権を有する内閣総理大臣が行うものと解されている。これまでに防衛出動が命じられたことはない。, 自衛隊の災害派遣は自衛隊法第83条によって定められており、自然災害・人為的災害を問わず災害時に各都道府県知事などの要請によって防衛大臣又はその指定する者(方面総監、自衛艦隊司令官など)が部隊に出動を命令し、救援活動を行う。災害に際し、要請を待ついとまがない緊急事態と考えられる場合(震度5弱以上など)は要請を待たないで情報収集や救助のため部隊を派遣することができる。災害派遣には大規模災害派遣、原子力災害派遣が含まれる。災害派遣は地震、台風による大雨、三宅島や大島の火山噴火の際に実施されているほか、地下鉄サリン事件や日本航空123便墜落事故など消防のみでは対処が困難な事件・事故の際にも実施された。また、離島からの急患輸送や遭難者の捜索も災害派遣扱いとなる。, 上記と異なる類型の災害派遣として、「近傍災害派遣」がある。近傍災害派遣は自衛隊法第83条第3項に定められており、防衛省施設の近傍において火災その他の災害が発生した場合、部隊長が必要に応じて部隊の派遣を行うことができる。, 災害派遣の件数は毎年約800回前後で、2004年度(平成16年度)では急患輸送が年616回、次いで消火支援が102回(うち近傍災害派遣が92件)で、その他すべてをあわせ自衛隊全体で884回出動している。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災においてはのべ約225万人が派遣され、2011年(平成23年)の東日本大震災では、3月19日[23] から同年5月10日[24] まで、50日間連続して10万人/日を超える規模の派遣を行うなど、それぞれきわめて大規模な災害派遣が行われた。, 領空侵犯に関しては、自衛隊法第84条により防衛大臣は他国の航空機が国際法などに違反して日本の領空に侵入した場合、もしくは領空侵犯の畏れがある場合にこれを阻止する措置を行うことができる。領空侵犯に対する措置としては、領空侵犯機を日本の空港に着陸させるか、日本の領空から退去させるために必要な無線による警告、誘導、武器による警告などの措置をとることができる。, スクランブルは冷戦期には最高で年1,000回近く行なわれていたが、冷戦後は比較的少なくなり、おおよそ年100回〜200回程度となっている。飛行機は高速で移動するので、単純に領空侵犯が行なわれた時点でスクランブル発進するのではなく、防空識別圏 (ADIZ:Air Defense Identification Zone) に入った時点で発進し、実際に領空侵犯が起きるのは年数回程度となる。2008年現在、領空侵犯機に対して警告射撃を行なったのは1987年に起きた沖縄本島上空におけるソ連機侵犯事案の1回のみである。スクランブルは、領空侵犯の恐れのある機に対する発進のほか、ハイジャックなど非常事態が起こった民間機の護衛、誘導などにも行われる。, 海上警備行動は自衛隊法第82条に定められており、海上における人命、財産、治安の維持のため特別の必要がある場合、防衛大臣が自衛隊に必要な行動をとるよう命じ、内閣総理大臣の承認を受ける。, 海上警備行動は1999年(平成11年)3月23日から24日にかけて不審船(北朝鮮の工作船)が日本の領海内に侵入した事件(能登半島沖不審船事件)の際初めて発動され、この命令に基づき威嚇として護衛艦が計25回の射撃、対潜哨戒機P-3Cが計12発の対潜爆弾投下を実施した。また2004年(平成16年)11月10日に沖縄県先島諸島周辺で中国海軍の潜水艦が潜航状態で領海侵犯した事件(漢級原子力潜水艦領海侵犯事件)の際にも発動され、哨戒機P-3C、対潜ヘリSH-60J、護衛艦「ゆうだち」「くらま」による追跡が行われた。, 1996年(平成8年)、国連海洋法条約の批准に際し、同年12月、自衛隊の部隊が同条約の定めるところにより、日本の領海及び内水で潜没航行する潜水艦に対して浮上・掲旗要求、退去要求を行うにあたり、あらかじめ閣議においてその基本方針と手順を決定しておき、個々の事案発生時に、改めて個別の閣議決定を経ることなく、内閣総理大臣の判断により、自衛隊の部隊が迅速に対処し得る旨の閣議決定(「我が国の領海及び内水で潜没航行する外国潜水艦への対処について」)がなされた。2004年(平成16年)11月10日早朝、国籍不明の潜水艦が先島群島周辺海域の日本の領海内を南から北方向へ向け潜没航行しているのを海自哨戒機(P-3C)が確認したことから、所要の措置を講ずるために、同日、上記閣議決定を踏まえ、1999年(平成11年)の能登半島沖不審船事案以来2度目となる海上警備行動が発令された。, 弾道ミサイル防衛(BMD)に関する行動類型としては、自衛隊法第82条の3に「弾道ミサイル等の破壊措置」が定められている。この条項は2003年(平成15年)に弾道ミサイル防衛システム導入が決定されたことを受け、2005年(平成17年)の法改正で整備された。, 弾道ミサイル等の落下により人命または財産に対して重大な被害が生じると認められる事態に対して適用される条項で、内閣総理大臣の承認を得て防衛大臣が部隊に必要な措置をとることを命ずる。内閣総理大臣の承認を受ける暇がない緊急の場合にはあらかじめ作成された緊急対処要領に従って部隊に出動を命ずる。同条による措置がとられた場合、内閣総理大臣はその結果を国会に報告する必要がある。, 各自衛隊は弾道ミサイル防衛に関する装備の整備を進めており、弾道ミサイルの探知手段としてイージス艦の改修と新型地上配備型レーダーの配備と既存レーダーの改修が行われる。また迎撃ミサイルとしてスタンダードミサイル SM-3とパトリオットミサイル PAC-3の配備を決定している。, 2009年(平成21年)3月27日、政府は安全保障会議を開き北朝鮮が「人工衛星」打ち上げ名目で発射した長距離弾道ミサイルが日本の領土・領海に落下する事態に備え、ミサイル防衛(MD)システムで迎撃する方針を決めた。これを受け、浜田靖一防衛相が自衛隊法82条2の第3項に基づき「破壊措置命令」を自衛隊に発令した。, 自衛隊の治安出動は自衛隊法第78条および第81条によって定められており、第78条では命令による治安維持を定めている。内乱や騒擾状態など何らかの理由により警察力のみでの治安維持が不可能となった場合に内閣総理大臣の命令により出動する。国会の承認は命令出動後20日以内に付議される。, 第81条では都道府県知事からの要請を受けた場合の治安維持を定めており、国会の承認は必要なく内閣総理大臣の命令によって出動を行う。基本的に治安維持活動の場合警察官職務執行法を準用する。この治安出動は、1960年代の安保闘争の際に発動が検討されたが、実際には出動しなかった。これまでに治安出動が命じられたことはない。, 2004年(平成16年)に制定された国民保護法並びに自衛隊法の一部を改正する法律により、改正されたいわゆる改正自衛隊法第75条には、自衛隊の新たな行動類型として国民保護等派遣が加わることとなった。, 武力攻撃やテロなどが発生した際、都道府県知事の要請に基づき、防衛大臣の命で国民の保護のための措置をとることができるとされた。国民保護派遣ではなく、国民保護「等」派遣として規定されているのは、国民保護法が想定する事態として武力攻撃のみならず、テロに際しても武力攻撃事態に準じた措置がとれるように柔軟な表現を採ったため。, この国民保護等派遣において自衛隊が果たす役割としては、武力攻撃事態等又は緊急対処事態において、避難住民の誘導、集合場所での人員整理、避難状況の把握などの他、避難住民への食料品及び飲料水の供給、物資の供給、医療活動、捜索及び救出などの活動が主に期待されている。その他にも、武力攻撃災害などへの対処、被災状況の把握や人命救助活動、消防及び水防活動、NBC汚染対処などが想定され、また、武力攻撃災害などの応急の復旧において危険な瓦礫の除去、施設などの応急復旧、汚染の除去なども想定されている。, 改正自衛隊法では、第75条において即応予備自衛官、予備自衛官の国民保護等派遣が可能となる。, 国民保護等派遣における自衛隊の権限は、警察官職務執行法の避難等の措置、犯罪の予防及び制止、立入、武器の使用の権限を行使する警察官相当の権限を行使できる他、市町村長などがその場にいない場合に限り、自衛官は退避の指示、応急公用負担、警戒区域の設定、住民などに対する協力要請などの権限を行使することができるとされている。, なお、国民保護等派遣が命ぜられた場合のほか、防衛出動又は治安出動が命ぜられた場合、必要があれば自衛隊は国民の保護のための措置をとることができる。, 1980年代までは、専守防衛論議とのからみで、部隊の海外派遣は行われなかった。冷戦終結に伴う、国際政治環境の変化を受けて、湾岸戦争後の1991年(平成3年)のペルシャ湾への掃海艇派遣(自衛隊ペルシャ湾派遣)を皮切りに、それ以降PKO協力法に基づくカンボジアや東ティモールなどへのPKO業務、国際緊急援助隊業務を行っている。, その他に、自衛隊はアメリカ同時多発テロ事件を受けテロ対策特別措置法によりインド洋周辺にて補給艦による他国の艦船への燃料や物資の補給や輸送機による物資の輸送を行なっている。インド洋に派遣する船舶は補給艦2隻および護衛艦3隻以内と定められている。また輸送機においては輸送を行う航空自衛隊の部隊の自衛官の数に相応する数量の拳銃等の所持が認められている。また、イラク戦争後のイラク復興援助のために、イラク復興支援特別措置法に基づき、陸上自衛隊や航空自衛隊の部隊によるイラク派遣を行っていた。, 2012年度(平成24年度)から東ティモールやカンボジアで、非伝統的安全保障分野における派遣を開始した。今後、東南アジアを中心に自衛官等を派遣する。自衛隊は、2010年(平成22年)の防衛計画の大綱で、海賊への対処や、地雷・不発弾処理、災害対応などの能力構築支援(キャパシティ・ビルディング)の推進を表明しており[25]、インドネシア、ベトナム、モンゴルでも実施している[26]。, 不発弾処理に関しては自衛隊法附則第4項に記載されているが、防衛大臣の命令で出動する旨のみが記載されているだけで、その他の細かい規定はない。出動回数は災害派遣より多く、2003年度(平成15年度)までに113,703回出動し、計5,444tの不発弾を処理している。, 陸上自衛隊広報センター、海上自衛隊佐世保史料館、海上自衛隊呉史料館、鹿屋航空基地史料館、浜松広報館など、各地に広報用、観光用の施設を設けており、各自衛隊の装備品や、日本軍の兵器が展示され、また歴史や活動の広報が行われている。, 他、自衛隊地方協力本部や各基地、駐屯地などは、地方局のラジオなどでレギュラー番組を持っており、毎週、自衛隊の情報を発信している[27]。これらの番組は自衛官が出演しており、好評を得て全国放送される番組もある[28]。, 他国の軍隊との防衛交流を図り、防衛省高官の訪問、世界各国国防省高官の招待などを繰り返している。また、自衛官と外交官の身分を併有し、駐在武官に相当する防衛駐在官を関係の深い主要国に派遣している。海上自衛隊の初任幹部を乗せた練習艦隊の派遣もこれに貢献している。, 1997年(平成9年)日米両政府により締結された「SACO合意」(Special Action Committee on Okinawa、沖縄に関する特別行動委員会)により、日本の国防については日本が主に対処し、米軍は補助であるという原則が、文書の上で確認された。 ]。, 政府見解は憲法9条第2項は「戦力」の保持を禁止しているという解釈のもと、これは自衛のための必要最小限度の実力を保持することを禁止する趣旨のものではなく、これを超える実力を保持することを禁止する趣旨であるとし[117][118][119]、自衛隊のような自衛のための任務を有し、その目的において必要相当な範囲の実力部隊を設けることは憲法に違反するものではないとしている[120]。, これに関連して、政府見解は交戦権を伴う自衛戦争と自衛権に基づく自衛行動とは異なるものであるとし[121]、憲法上自衛権は否定されておらず、国際法上、我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使すること(自衛行動権)は当然に認められているとの立場をとっている[122][123]。ただ、自衛行動の範囲については、2014年(平成26年)7月の閣議決定により集団的自衛権についても密接な関係にある他国への攻撃であり、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合などに限って必要最小限度の範囲で行使可能とする憲法解釈の見直しが行われている[111]。, 日本政府の見解は一貫して「自衛隊は、憲法上必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものと考える。 また、自衛隊が国際法上『軍隊』として取り扱われるか否かは、個々の国際法の趣旨に照らして判断されるべきものであると考える[124] 」となっている。, 「国際法上の軍隊」として取り扱われるか否かについては、中山太郎外務大臣の国会答弁において、「自衛隊は、憲法上必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の厳しい制約を課せられております。通常の観念で考えられます軍隊ではありませんが、国際法上は軍隊として取り扱われておりまして、自衛官は軍隊の構成員に該当いたします[125]」と述べた。「軍隊」という語は多義的で、防衛庁長官の国会答弁においても、「近代戦を有効に遂行し得る意味の軍隊ではないのでございます。ただ、防衛的の、防衛力を発揮できるという意味におきまして、もし軍隊とおっしゃるならば、おっしゃってもよろしいというのが従来の防衛庁、政府の発言でございます[126]」と述べ、「自衛隊は軍隊か」という問題は、軍隊の定義如何の問題に帰結するのであって重要な問題ではないとしている。, 日本国憲法9条2項後段は交戦権の否認について規定する。政府見解では同項の「交戦権」とは「交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」を意味するもので、このような意味の交戦権が同項によって否認されていると解しており[122]、一方で自衛権の行使に当たっては、国際法上、我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使すること(自衛行動権)が当然に認められているのであって、その行使は交戦権の行使とは別のものとして憲法上許容されているという立場をとっている[122][123]。, この点について、1969年(昭和44年)の参議院予算委員会において高辻正己内閣法制局長官(当時)は「あくまでも憲法の第九条二項が否認をしている交戦権、これは絶対に持てない。しかし、自衛権の行使に伴って生ずる自衛行動、これを有効適切に行なわれるそれぞれの現実具体的な根拠としての自衛行動権、これは交戦権と違って認められないわけではなかろうということを申し上げた趣旨でございますので、不明な点がありましたら、そのように御了解を願いたいと思います」と述べている[127]。, 自衛隊の身分がこうした「憲法の解釈」によって保証されているという曖昧な状態に対し、憲法を改正して自衛隊保持を明記すべきという意見もある(憲法改正論議)。, 第二次世界大戦中の軍国主義への反発、戦後の連合国軍占領下でのアメリカによる思想操作、また憲法9条2項に基づく解釈から、軍事的武力組織である自衛隊は違憲の存在として扱われてきた。吉田茂は首相辞任後の1957年(昭和32年)2月初旬頃、吉田邸を訪ねた卒業間近の防衛大学校第一期生の学生3人に対して「君たちは、自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されたりすることなく自衛隊を終わるかも知れない。非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。ご苦労なことだと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の危機にある時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮しているときだけなのだ。言葉を変えれば、君たちが日蔭者であるときのほうが、国民や日本は幸せなのだ。一生ご苦労なことだと思うが、国家のために忍び堪えて貰いたい。自衛隊の将来は君たちの双肩にかかっている。しっかり頼むよ。」と語ったと、3人の内の一人である平間洋一は証言している[137]。, 日本政府が2006年(平成18年)に行った世論調査では、回答者の84.9%が自衛隊に対する印象が「良い」(「良い印象を持っている」37.9%、「悪い印象は持っていない」47.0%)とし、過去最高を記録した[138]。また、内閣府所管の世論調査機関である中央調査社が2008年8月に行った調査[139] によれば、自衛隊は調査対象となった組織のうち、医療機関と並んで最も信頼度が高かった[139][140]。, さらに、2012年(平成24年)1月の世論調査では、「良い印象を持っている」とする者の割合が91.7%(「良い印象を持っている」37.5%+「どちらかといえば良い印象を持っている」54.2%)、「悪い印象を持っている」とする者の割合が5.3%(「どちらかといえば悪い印象を持っている」4.5%+「悪い印象を持っている」0.8%)となっていて、前回の調査結果と比較して見ると、「良い印象を持っている」(80.9%→91.7%)とする者の割合が上昇している[141]。, 2012年(平成24年)3月10日、内閣府が公開した「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」では、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)での自衛隊の活動を評価するとした回答は97.7%、自衛隊に好印象を持つという回答も91.7%で、過去最高を記録した。災害派遣活動を「全く評価しない」とした回答はゼロであり、東日本大震災における自衛隊の活動が多くの国民に認知された形となった。他、自衛隊の存在目的では、中国軍の軍備増強による影響で「外国からの侵略防止」が78.6%となり、前年比8%増加した[142]。, 2012年(平成24年)4月30日、FNNは世論調査を行い、憲法改正をした場合、「自衛隊の位置づけを明確にするべきだ」と「思う」は71.7%、「集団的自衛権を認め、明文化するべきだ」と「思う」は62.1%だった[143]。同年6月5日にアメリカの世論調査機関ピュー・リサーチ・センターが発表した調査によると、「日本国民の約89%が自衛隊は国の方向性に良い影響を与えている」と回答した[144]。, 「その他」は国家の承認を得る国が少ない、または無い国であり、国際連合非加盟。国家承認を得た国連非加盟の国と地域の一覧・独立主張のある地域一覧も参照。 連携を保つための共同演習では、戦闘のほか「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」に基づく非戦闘員の救出・輸送訓練など、多様な形態の演習を定期的に実施している[35]。在日米軍の全兵力は、約5万人である。, 日本とオーストラリアは、双方ともアメリカ合衆国と極めて緊密な軍事関係を構築しており、その関係から防衛首脳の会談も他国と比べて頻繁に行われている。自衛隊がイラクに派遣されたときには、サマーワでオーストラリア軍と共に復興活動に従事した。, 2003年(平成15年)9月、日本国防衛庁とオーストラリア国防省との間の防衛交流の発展に関する覚書に署名。, 2007年(平成19年)2月15日には、外務・防衛当局の審議官級協議が行われ、自衛隊とオーストラリア国防軍の共同演習などを今後行うという方針を確認した。同年3月には、ジョン・ハワードオーストラリア首相が来日し、安倍晋三首相と「安全保障協力に関する日豪共同宣言(日豪安保共同宣言)」に署名、PKOの共同訓練、核・ミサイルなど大量破壊兵器遮断とテロ対策、国境を越えた犯罪予防協力など9項目での協力が成立した。, 両国の外交・防衛閣僚による定期協議(2プラス2)の実施も盛り込まれ、これにより日本にとってオーストラリアは米国に次いで2番目の安保分野の協力国となった。, 2008年(平成20年)12月、日本国防衛庁とオーストラリア国防省との間の防衛交流の発展に関する覚書を改定。, 2010年(平成22年)5月19日には、両国は「物品役務相互提供協定(ACSA)」に署名した。日本がACSAを結ぶのは、アメリカに続き2ヶ国目である[36][37]。, 2012年(平成24年)2月11日〜24日、航空自衛隊は、アメリカ空軍、オーストラリア空軍と初の3者共同訓練をアメリカ領アンダーセン空軍基地で実施した。規模は空自約330人、アメリカ空軍は約400人、オーストラリア空軍は約300人である[38]。, 2012年(平成24年)5月3日〜18日に中央即応集団司令官の山本洋陸将を担任官にオーストラリアのパッカパンニャル諸職種訓練場で開かれる射撃競技会に中央即応集団の第1空挺団の隊員16人が参加する。結果は参加15カ国中、14位。1位のインドネシア軍とは倍近いスコアの差。最下位は東チモール軍。使用火器は89式5.56mm小銃、5.56mm機関銃MINIMI、9mm機関けん銃である。2011年(平成23年)にオブザーバー参加して事前に研修を行っている。, 2012年(平成24年)6月4日〜5日に日豪共同訓練、6月6日〜6月8日に日米豪共同訓練を実施する。九州南東方海域で海上自衛隊からは護衛艦・潜水艦1隻、航空機1機。アメリカ海軍はミサイル駆逐艦・原子力潜水艦1隻、航空機1機、オーストラリア海軍は駆逐艦「バララット」、オーストラリア空軍の航空機1機が参加する予定。, 2012年(平成24年)5月、玄葉光一郎外相とオーストラリアのカー外相が外務省飯倉公館で会談、情報保護協定を締結した。, 2012年(平成24年)8月31日、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣している陸上自衛隊の現地支援調整所に日豪防衛協力の一環で、オーストラリア軍の要員2人を受け入れた。オーストラリア軍との情報共有を進め、現地支援調整所が担う国連やNGOとの連絡調整の効率化を図る。, 2015年(平成27年)7月、米豪合同軍事演習「タリスマン・セーバー」に自衛隊が初めて参加し、日米豪で上陸訓練を行った[39]。, 海上自衛隊の前身組織である大日本帝国海軍は設立時にイギリス海軍の教官が指導にあたっており、現代でも海軍カレーなどの文化が海上自衛隊に受け継がれている。, 2011年(平成23年)10月31日、一川保夫防衛相はフィリップ・ハモンド 英国防相と会談し、2004年(平成16年)1月に署名した旧覚書を発展させた、両国の防衛協力についての新たな覚書の策定作業を開始することで合意した[40]。, F-35に敗れはしたが、イギリスは航空自衛隊の第4次F-X計画に、ユーロファイターを日本に積極的に売り込んできた。このF-Xでの積極的な売り込みの結果、日本とイギリスの間に国防関係の交流が発生した。2011年(平成23年)12月の武器輸出三原則緩和を受けて、2012年(平成24年)4月10日、野田佳彦首相はイギリスのデーヴィッド・キャメロン首相と首脳会談を行い、防衛装備品の共同開発・生産を早期に開始することで合意した[41]。2013年3月、テロへの対処能力を向上させるため「化学防護服」を共同開発する方針で調整していることが判明している[42]。, 2012年(平成24年)7月7日、イギリスのフェアフォード王立空軍基地(RAF Fairford)で開催されるロイヤル・インターナショナル・エア・タトゥー(RIAT)に、初めて航空自衛隊のKC-767Jが参加した。, 2015年(平成27年)7月14日、イギリスのフェアフォード王立空軍基地でのロイヤル・インターナショナル・エア・タトゥーに海上自衛隊のP-1が2機参加した。, 2017年(平成29年)1月26日、ロンドンにおいて両国は「物品役務相互提供協定(ACSA)」に署名し、8月18日に外交上の公文を交換し発効した[43]。日本がACSAを結ぶのは、アメリカ、オーストラリアに続き3ヶ国目である。, 2018年9月30日から10月12日まで、陸自の約60人と英陸軍の約50人が参加して富士学校や北富士演習場など3カ所で行われる、陸自が国内で米軍以外と2国間訓練を行うのは初めてだという[44][45][46]。, インド海軍艦艇の初訪日は1969年(昭和44年)。また、2007年(平成19年)4月16日には、日米印3ヶ国間訓練が初めて実施された。房総南方海域で行われ、海上自衛隊からは第1護衛隊群司令の指揮する護衛艦4隻、米海軍からは第5空母打撃群司令の指揮する駆逐艦2隻、インド海軍からは東部方面艦隊司令官であるR・K・ドワン海軍少将の指揮する駆逐艦「マイソール」とミサイルコルベット艦「クタール」、補給艦「ジョティ」が参加し、通信訓練、近接運動、戦術運動等が行われた。, 2006年(平成18年)3月、国連平和維持活動の国際連合兵力引き離し監視軍の派遣(自衛隊ゴラン高原派遣)で、ゴラン高原で同一宿営地に住居し、給食業務等を共同で行なっている。, 2008年(平成20年)10月には、両国首脳が日印安全保障協力共同宣言に署名し、日本にとって、インドはアメリカ、オーストラリアに次いで、安全保障分野で正式な協力関係を結んだ3番目の国となった[47]。, また、インドは国防の充実を図るため、これまで武器の輸出を事実上禁止してきた武器輸出三原則の緩和を睨み、防衛関連技術に関する協力強化を求める方針を示唆している[48]。, 2012年(平成24年)には、海上自衛隊とインド海軍による2国間演習を実施することを決めた。中国への対抗を目的としている[49]。, 日本とインドの交流は、2006年(平成18年)3月に森陸幕長がインドに訪問、2007年(平成19年)4月にシン陸軍参謀長、2009年(平成21年)8月にカプール陸軍参謀長が来日、2011年(平成23年)2月には火箱陸幕長がインドを訪問した。2011年(平成23年)8月にはインド陸軍の准将以下4人が富士総合火力演習を研修し、2012年(平成24年)1月には富士学校の陸自幹部がインドのトプチ火力演習を研修している。日本はインドに防衛駐在官を置き、インド防軍幕僚大学に留学生を送っているほか、インド陸軍も陸上自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程(CGS)多国間セミナーなどに参加している。また、ゴラン高原の国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)に派遣されている陸上自衛隊ゴラン高原輸送隊は、現地でインド陸軍とともに後方任務に当たっている。, 2013年(平成25年)には、インドの防衛駐在官を陸海空の3人に強化する方針を決めた。3人体制は米中韓ロに続く5カ国目であり、近隣諸国や同盟国以外では初めてとなる[50]。, 日本とフィリピンは、2006年(平成18年)6月に日比防衛首脳会談を行うなど、定期的に防衛首脳、次官級の交流を行なっている[51]。2012年3月から4月にかけて行われるアメリカとフィリピンの合同演習に自衛隊が参加することが決定した[52]。また、フィリピン軍の基地や訓練施設を、自衛隊が共同使用することも検討されている[53]。, 2013年(平成25年)には、フィリピンを襲った台風ヨランダの甚大な被害を救援するため、フィリピン政府に要請に基づき、過去最大の1180人からなる海外派遣が行われた[54]。, 2016年(平成28年)5月、日本から最大5機のTC-90をフィリピン海軍へ有償貸与する事が両国間で合意した。

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